政宗や成実、伊達家、伊達家家臣の甲冑に関して、いろんなお話をしていきます。間違いもあると思いますが、そんな話もあるんだ~、程度に収めていただければ幸いです。
「伊達政宗所用 鉄黒漆塗五枚胴具足」
甲胄の基礎知識を読んでいただいた方には、お分かりですね。これは伊達政宗の最も有名な甲胄の一つで、仙台市博物館に展示されている重要文化財となっているものです。
鉄で出来ていて、黒い漆塗りで、バラバラにすると5枚に別れる胴の構成、そんな甲冑です。
そして着用イメージは瑞鳳殿の博物館にあります。「伊達家伯記念會
」で写真を見ることができます。
これとほぼ同じデザインの菅野家拝領 伊達政宗所用黒漆五枚胴具足、さらに水沢駒形神社所蔵 黒漆五枚胴具足があります。
そして政宗のお墓、瑞鳳殿に遺骨と共に埋葬されていた具足です。
特徴としてはまず、黒一色の無駄のないシンプルな見た目です。
戦国時代の甲冑は実に装飾に富み、これでもかっと人々を驚かせるデザインや、総大将としての威厳を押し出した兜など、見ていて飽きません。
その中でひときわシンプルで目を引くのが政宗の甲冑ではないかと思うのです。
ではこれらの甲胄、政宗がいつ着用していたのかといえば・・・
政宗19歳の時、蘆名や畠山らと戦った人取橋合戦の時に着用していた甲胄が、瑞鳳殿に埋葬されていたと言われています。
紹介出来る写真がないのですが、すでに仙台胴と呼ばれる、博物館に展示してあるものと同じ形です。兜も六十二間で、ほぼ同じ形をしています。
水沢駒形神社所蔵の具足は初陣のものという説があります。
(ちなみに梵字の前立てが付いていますが当時のものではなく後付です)
なんだ?政宗このパターンしかなかったのか!
しかし宇和島に全く別の政宗所用と言われる甲胄があるのです・・・。
宇和島市立伊達博物館の公式ブログに写真があります。
「十七間筋兜に孤月形の前立。金茶糸で威した雪下胴。袖が付き仙台伊達家伝来の五枚胴具足より華美に出来ている。1916年宇和島伊達家が入手した」と、解説にあります。
更には仙台市博物館にも毛引脅しの甲冑があり、ニューヨークのメトロポリタン美術館にも政宗拝領(伝)の甲冑が展示されています。
これらの具足は政宗の死後、ずうっと伊達家にあったわけではないのです。四代綱村が「政宗の甲冑はどこにあるんだ!」そう言って探させて、当時の家臣たちが持っていたものを集めてきたのです。
なぜ、家臣の家に政宗の甲冑があるのか。
甲冑や刀というものは大名同士や上下関係の親密さを深めるために頂いたり、贈ったりする習慣がありました。仙台市博物館には秀吉から拝領した具足があります。
博物館所蔵の具足の重量は22kgです。
胴高38.0㎝ 胴廻118.0㎝
政宗は家臣たちにもこの胴をすすめています。そして「重さは各自の器量次第である」と言っています。 政宗の自信の現れでしょうか。
武勇をもって知られ、知略にもすぐれ、人となりも真っ直ぐであると言われた政宗の腹心であり、伊達家の血筋であり、従兄弟に当たる伊達成実。
彼が晩年書き残した「成実記」は、政宗が家督を継いだ18歳から秀吉時代までの戦記を中心にした、当時を体験した貴重な伊達家の記録です。
そんな成実の具足は現在、北海道伊達市の「だて歴史文化ミュージアム」に展示してあります。
成実の甲胄の大きな特徴は、その前立てにあります。
一直線に伸びた毛虫の前立ては熊の毛でできており、毛虫は前にしか進まないことから、決して後退はしないという、いかにも成実らしい意匠です。
胴は黒漆の五枚胴で、草摺は五段八間(九間?)筋は数えられませんでしたが約六〇間、胸には鉄砲の試し打ちの跡が二箇所あります。
青葉城資料館の甲胄の説明によれば、政宗の時代から実戦に耐えられる強度があるのかをテストしたといい、他に片倉重長、伊達宗直の具足にも跡があるといいます。
不思議なのは、政宗の具足にはいずれも試し打ちがないことです。
成実の甲胄とされてはいるものの、あくまでも、そう伝わって代々大事に保管していたものを、昭和に記念館が建設されるにあたり、寄贈された状態を保存しているにすぎないとは、成実のご子孫のお言葉です。
具足は、先にも書きましたが、家臣に下賜したり上司から拝領したりするもので、政宗の品でさえ100年も経たないうちに不明瞭となっています。時代とともに、正確さに欠くのはしかたのないことなのでしょう。
宮城県亘理要害:成実の居城
写真はいずれも北海道
1,登別伊達時代村 片倉史料館内の写真 片倉小十郎重綱の具足
2,登別郷土資料館の江戸末期の片倉家家臣の甲胄
3,北海道室蘭市民俗博物館の角田領由来の具足(江戸末期)
博物館に展示されている政宗の甲冑を作ったと言われるのが、「雪下久家」です。ただし、銘は見つかっていません。
兜には「宗久」の銘があり、政宗よりも以前の人物で、鍛えのよい古い兜をカスタマイズしたのだと思われます。
埋葬品の胴は「雪下彦七」作といわれています。
政宗の兜は六十二間、62本の筋が入っているので、これは仙台62万石にかけて制作したものだ、といった話があります。
しかし、もうお分かりですね。仙台藩主になる、ず~~っと前から政宗の兜は六十二間なのです。
六十二間兜は、仙台藩に限らずよくあるパターンなのです。
この甲胄は江戸時代に入ってからのもので、半月の前立ては伊達家家臣のお決まりです。木製に金箔で軽いとのこと。
まずはこちらを!!
http://datehaku.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html
これも先ほど紹介した伊達博通信のブログで。、日本一大きな甲冑の名にふさわしいではありませんか。
伊達宗贇は、仙台藩第3代藩主・伊達綱宗の三男で、宇和島藩に養子に入った人物です。つまりは政宗のひ孫です。
育ったものですね・・・。