※この記事は2012年のものです。今とは違う内容もありますが初めての野馬追で興奮して書き上げた記事なので残しておくことにしました。
それでは!
2012年7月に開催された野馬追を見に行き、10月、相馬出身で5歳の時から野馬追に参加されている方の貴重な野馬追の裏話などを聞く会に参加しました。内容を思い出しながら、綴ってみます。
野馬追の詳細は、公式HPを御覧ください。
パンフレットには1000年の伝統を誇る野馬追、とありますが、実際はどの程度昔から行われていたのかは不確かなものの、少なくとも戦国時代にはすでにやっていたといいます。
野馬追は過去に3度、存続が危ぶまれた時期がありました。
最初は関ケ原合戦の折り、相馬は西軍にも東軍にもつかず、傍観していたが戦後東軍である徳川の勝利により、参戦しなかったことを理由に相馬が潰されそうになった時です。
あくまでも言い伝えではありますが、伊達政宗がとりなしを行ったおかげで相馬は領土を安堵された、とか。
2度めは明治維新、野馬原の野馬がすべて狩り獲られ、さらに野馬追は武士の姿で帯刀するのが常であり、政府から軍事訓練であると判断され、中止を迫られるが神社主催の神事であるとし、継続が認められる。
これより神社の祭りとして体制が変化し、本来の姿は完全に失われることとなった。
3度めは太平洋戦争。
野馬がいなくなった現在、野馬追に参加している馬のほとんどがサラブレッドで、古来日本では武士は馬に乗る時には右から乗るのですが、そういった訓練を受けていないため、馬が驚かないように現代基準の左から乗っています。
出陣は今は仮設住宅が会場の一つとなっています。元気出していざ出陣!相馬では「国家」と呼んでいる「相馬流れ山」を歌います。
口上を述べられないと、祭りの大役はこなせない。
それぞれお役のものがが副大将や総大将をお迎えに上がる際、口上を述べます。これがスラスラと出てこなければいけません。今回お話して下さった方は5歳の時からずうっと間近で見ているので練習しなくともアドリブでセリフが出るそうです。最近では練習もするが出来ない、苦手な人は祭りから離れていくそうです。
会場でも口上なのか、怒鳴られているのか、喧嘩も始まるし結構荒々しくてちょっとビビってしまうこともあります。
戦国の当時なら毎日が生死をかけた怒号と伝令が飛び交っていたことを思うと現代人はヤワヤワですね・・・。
2011年の東北沖地震で甚大な被害と犠牲者が出たことは周知のとおりです。加えて原発問題も今だ解決の糸口もないままです。
2011年は開催がないものだと思っていましたが、どっこい、相馬魂は開催を決定、規模を縮小して実行しました!このニュースを聞いた時には「相馬かっこいいいい!」と、ひたすら感動しました。
出陣する方たちは皆左肩に名前と役名をつけていますが、本来ない黒い喪章と、復興祈願の布をつけて行なっていたそうです。右は2012年の写真で、付いていません。
野馬追のメインの一つに甲冑競馬がありますが、結構落馬が多いそうです。私も目撃しました。しかし長い歴史上、死者は過去に1名のみで、落ちても甲冑が身を守ってくれるので、大した怪我もないのだと話していました。
甲冑競馬の馬場は周囲約1,3キロ、砂場です。かぶりつきで見ていると、もろ砂を浴びせられます。
騎手も後ろを走っていると、前の馬が蹴りあげた砂で目をまともに開けていられないそうです。それでも猛スピードでかけていく姿は迫力いっぱいです。
背中の旗指物がばたばたとものすごい音がします。
撮影チケットを買うとすぐ傍で見ることができるのでお勧めです。
ただし砂かられババアやジジイになりますが。
現在使用している甲冑は時代物で、江戸時代のものが多いそうです。
本物の甲冑は現在のレプリカよりはるかに軽いと聞いて、驚きましたが実際触ると確かに軽いです。軽いといってもやはり重いですが、本小札(写真右の紺糸縅しの甲冑)はとても軽いのです。
そして大変に着やすいのも特徴の一で、なるほど、以前にレプリカを着たときは現代の男性用に作ったせいもありますが、首がつっかえたりして着心地が今ひとつ悪かったのです。
重たいとはいえ、甲冑のラインが体にフィットし、長時間の着用に耐えられたのでしょう。
一番体にフィットするのが本小札の甲冑で、なるほど、確かにあの小さなパーツひとつひとつはゆるやかな曲線となってより体型に合った形になりますね。
着てみたがるのは女性が多い。・・・着たいんですっ!
重さの話で、余談ですが、以前平安末期の大鎧の複製の、袖だけを持ってみたのですが、これが大変に重たく、感覚的には紺糸縅しの胴と同じくらいの重さでした。大鎧の分厚さが半端無いのです。兜も首を痛めるのではと思うほど重いものでした。
この兜はとても軽くて、自作のヘルメット兜と変わらないくらいでした。
時代物の甲冑を着るとわかりますが、ウエストは結構細いのです。太っていない女性の自分が着ても大きい感じはしません。しかしながら上半身には筋肉がモリモリで、体型は猫背でがに股だっとといいます。防御体制です。常に半身は腰を落とせと以前習いました。確かに合戦絵巻などを見るとよくわかります。首がぐっと前に来るのは当時の絵の描き方だと思ってましたが、猫背だったのかもしれないです。本当のところは謎ですが
大坂夏の陣図屏風より
これも時代物です。馬具に関しての詳しい話はありませんでしたが、立派なものです。
使い込まれた美しい鞍と障泥(あおり)
今後は甲冑をレプリカにする話が上がっているそうです。理由は時代物を未来に永く残すためで、なるほどと思いましたが、しかしながら出来るなら、現代甲冑で身を包むより歴史そのものを身にまとって存続して欲しいなあと、我儘ではありますがそう願うのです。
現代甲冑も時代を経て300年使い続ければそれもまた、歴史ですが・・・。
野馬追は毎年5月の下旬に3日間に渡って行われます。国の重要無形民族文化財に指定されているお祭りを是非体感して下さい。また、全国のお祭りにも野馬追がゲストとして参加することも度々あります。
写真は東京の神田祭のときのものです。
※この記事は個人の感想です。公式とは関係ありません。
相馬野馬追公式HP